住み慣れた横浜を離れ、新天地・愛媛で、夢の家づくり。
地盤調査の結果、傾斜地ながら安定した地盤であることを確認。ただし、海風が強く台風時の塩害も予想されることから、地階部分は鉄骨造りに。
伊予の小京都・大洲から西に車を走らせること2時間弱。F様ご夫妻のお宅は、日本一細長い佐田岬半島の先端近くにあります。
ご夫妻はともに横浜で生まれ育ち、数ヵ月前にこの地に転居するまで、ずっと横浜暮らしでした。ここ西宇和郡伊方町は瀬戸内海と宇和海に挟まれ、風光明媚で温暖な地で、別荘を「FPの家」で建てたのかと思いきや、そうではありませんでした。
「かねてから漠然と“田舎暮らし”にあこがれ、定年退職後は農業や釣りなどをして、生活を楽しみながら健康に暮らしたいと考えていました」とご主人。
奥様も同じ思いを抱き、東京で開催された“田舎暮らし”のセミナーにお二人で参加したり、北海道や山梨などへ土地探しに出かけたりもしたそうです。
それにしても、縁もゆかりもない愛媛にはなぜ…?
「田舎暮らしでも、畑の中というよりは“樹木の中に住みたい”という思いがありました。ここは旅行気分で訪れた見学会で初めての四国でしたが、私たちが思い描いていた理想に近い土地と感じ、思い切って移住を決意しました」と奥様。
かくして、『LoHAS(ロハス)人生を夢みる団塊世代夫婦のIターン物語』は始まったのです(注:FPを扱う工務店の社長の表現を拝借)。
「FPの家」の良さを知り尽くしているからこそ、第二の人生もFPで。
伊方町民になって間もないFさんご夫妻ですが、横浜では13年間「FPの家」にお住まいでした。つまり、「FPの家」の性能の高さと住み心地の良さを十分実感し、理想的な第二の人生を送るうえで「FPの家」は欠かせない条件だったのです。
「今まで快適な生活をしてきましたし、これから年を重ねるわけですから、身体に負担のかからない家であることは必須条件です。また、ここは台風の進路にあたりますし、近い将来起こるとされる南海大地震にも備え、工務店さんには頑丈な家にしてほしいとお願いしました」と語るご主人。
横浜と愛媛という遠隔地のため、工事途中の打ち合わせや気づいた点はこまめにメールでやりとりしながら、Fさんと工務店は信頼関係を築いていきました。とはいえ、海に面し原生林に囲まれた傾斜地の造成など、工務店にとっても今までの家づくりとは異なる一大プロジェクトでしたが、「想い通りの家ができました」というFさんの言葉に、苦労が吹き飛んだことは言うまでもありません。
樹木に抱かれ、眼下に穏やかな宇和海が広がるFさんのお宅。窓から見える景色は、まさに絶景です!
第二の人生を、楽しく生き生きと。「FPの家」から始まる新たな挑戦の数々。
「空気はきれいで、眺めもいい。原生林の中に四季折々の花が咲き、外に出るたびに感激します」とご主人。鳥のさえずりが一日じゅう心地よく耳に響きます。
目の前の宇和海にはフェリーの定期航路があり、晴れた日にはその行き先である九州も見えるとのこと。「土地を見に来た時は、こんなに海が近くに見えるとは思いませんでした。毎日海を眺めながら、畑を耕せたら最高!」と笑顔の奥様。湿気が多いこの場所でも、「FPの家」ならいつまでも快適に過ごせるはずです。
ところで、家の中でひときわ目を引く大黒柱は、もともとこの土地に生えていた樹齢約70年の杉の大木で、「家の心柱(しんばしら=大黒柱)にしては…」と工務店からの提案だったそうです。“新月の木”(新月の時に伐った木は、腐りにくく、反りや暴れが少ないと言われる)の発想に基づいて伐採され、枝や節、曲がりを残した自然な味わいの大黒柱を「わが家のシンボルになって嬉しいですね」と奥様。
これからの計画について伺うと、「将来的には太陽光発電も取り入れ、エネルギー面も含め、畑を耕し魚も釣って“自給自足”を目指したい。そのためには体力づくりが必要なので、やりたいことをいつまでもできるよう、身体の維持も心がけていきたい」と、静かな口調の中に決意がみなぎるご主人。
「スローライフや田舎暮らしは、リタイヤしたあとの暮らしではなく、新しいことにチャレンジするための勢いのある暮らし。第二の人生を、積極的に、楽しく、生き生きと過ごせるためのグラウンドがこの土地にはあるんです」と奥様。
Fさんご夫妻の夢の住み処となる「FPの家」。四季折々に変化のある楽しい暮らしが繰り広げられそうです。
たくさんの花を育てている先輩が花束にしてくださったことに感激。「近い将来、私も…」と夢をふくらませる奥様。
敷地の中央にそびえていた杉の大木を心柱とすべく、旧暦1月1日まで待って伐採し、“新月の木”に。この杉を工務店の作業場まで運んで洗浄し、あえて枝や節、曲がりを残したまま加工。
吹き抜けのリビングからは、F様邸のシンボルといえる自然の風合いを残した杉の大黒柱が2階まで見渡せる。